家庭菜園

戦後の食料難で空襲の焼け跡を耕し、カボチャ、芋や小麦まで作った。その後食料難が緩み、きゅうり、茄子、トマトなどの野菜を作る様になった。鶏を飼って卵を取った。食料に余裕が出て八百屋が店開きをする様になると花を育てる様になった。それでも庭でトマト、きゅうり、茄子、カボチャなど野菜を作っていた。社会に出て会社勤め、しばらく菜園とは縁が無く野菜作りとは離れていたが、リタイヤして横浜に帰って来てから市民農園を借りて大根、にんじん、玉ねぎ、ジャガイモ、きゅうり、茄子、トマト、などと家庭菜園を楽しんで来た。転居して国立市に来たがマンションのため家庭菜園は不可能で諦めた。としちゃんは一戸建ての娘の家に行って、プランターで茄子、トマト、きゅうりなどの飼育を手伝っていた。孫娘は農学部なのに野菜の栽培には興味が無い様だ。余り家庭菜園に興味が無さそうだった娘がコロナのためテレワークで家に居る事が多くなった事、野菜の収穫に喜びを覚えたのか急にネットで野菜の育て方を調べ茄子、トマトなどの栽培を始め、トシちゃんの出る幕が無くなった様だ。写真の様に成れば良いのだが、如何なる事か、長続きしてくれれば良いのだが!!
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